「命」と「いのち」のバランスが医療の神髄

私の医療・介護物語

25.03.19

「命」と「いのち」のバランスが医療の神髄

《私の医療・介護物語–佐藤伸彦》 第三話

 

私はイノチという言葉、を漢字の「命」と、ひらがなの「いのち」とに分けて考えています。私が臨床の中で最も大事にしていることです。

医師になって数年目にこんなことがありました。

外資系の航空会社のアテンダントの方がインドへ行った後に発熱、痙攣、意識障害で救急搬送されました。

担当になった私は重症だったその患者さんをそれこそ命がけで治療をしました。なんとか一命は取り留めましたが後遺症が強く残りました。
一般病棟に移った時点で主治医交代となり、リハビリに専念していたと聞いていました。

 

ある日、自宅への退院が決まったと連絡があり、私は患者さんに会いにいきました。
その頃の私は、医師としては天狗になっていたのだと思います。
あれだけの重症を救命したのだからお礼の一つでも言ってもらえると考えていました。

玄関には車椅子で帽子を深々とかぶった彼女がいました。
「よかったですね」と退院のお祝いを言うと彼女は目も合わさずに「あ・ん・ま・り」と呟いたのです。

数日後警察から電話があり、彼女がご主人をネクタイで絞殺し自分は自殺を図ったと聞きました。
なんとも言えない不快さがあり、「先生、あんなに苦労して1人助けたのに、結局2人死んじゃったよね」と優しく声をかけてくれた指導医の先生の言葉が長い間私の中でリフレインしていました。

 

 

「命は救ったけど、救えなかったいのちがある。命は救えなかったけど救えたいのちがある」

イノチに漢字の「命」とひらがなの「いのち」があるのではないかと思うようになったのはそれがきっかけです。
生命体としての、身体としての、生物学的なバイオロジカル(Biological)な漢字の「命」というものがあり、それを私は医学教育の中で叩き込まれたのだと思います。多分皆さん
も看護や介護などいろいろなところで学んできたものはこの漢字の命だと思います。今読んでくださっている皆さんは100%肺呼吸をしているわけです。エラ呼吸という方がいれ
ばご一報ください。人間で生物体であればおそらくこうであろうという仕組みがありそれを命と呼び、その異常を私たちは治すということをずっと学んできたのです。
一方でひらがなの「いのち」は、ものがたられるイノチと言ってよいと思います バイオグラフィカル(Biographical)な、描く、語る、ナラティブ的ないのちがあるのでしょう。

皆、生まれてここまで、いろいろなことがあり、いろいろなものを背負って一生懸命今を生きているひらがなのいのちというものがあるのだろうと思います。

もちろんそこには個人の価値観や人生観などが反映されてきます。
この命といのちのバランスをどう取るのか、医学の社会的実践行為である医療の真髄なのではないかと思います。

 

 

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#1 死と向き合う在宅医療のパイオニア・佐藤伸彦先生にインタビュー
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