その人らしさを引き出す、ものがたり的共有感覚

私の医療・介護物語

25.04.10

その人らしさを引き出す、ものがたり的共有感覚

《私の医療・介護物語》 第五話

 

最後の時間を迎えている方々の多くは、自分のことを一人で決めることができません。

そんな時、一体誰がその人の大事なことを決めるのが望ましいのでしょうか。

よくキーパーソンという言葉が出て来ますが誰が適任なのでしょうか。

配偶者よりも子ども、しかも男性が選ばれる傾向にあります。
本人と奥さんが決めても、息子さんに話すとコロッと方針が変更になることは多々あります。

息子さんや配偶者の希望で、本人には伝えないということもあります。

本人不在のままに医療が進んでいくことに疑問を感じていました。
どんな人であろうとも、そこまで生きてきた「ものがたり」があるのではないか。

今はどう考えているのかはわからなくても、今を形作っているその人の歴史、ものがたりは間違いなくあるのではないか。

そのものがたりを共有している人で話すことができたら、正解はないけれど、何かが見えてくるのではないかと考えました。

 

ある患者さんの家族はいわゆるモンスターファミリーでした。

カルテやレントゲンを病室に持ち込み、親戚の医師を呼んで確認したり、外泊届を出して別の病院に受診に行ったりと、やりたい放題でした。

本人は脳出血後遺症の失語症があり、言葉を理解することも話すこともできず、嚥下障害のために胃ろう・経管栄養でした。

普通なら退院勧告されてもおかしくないような家族の振る舞いでした。

 

一方、私たちもその人がどんな生き方をして来た方なのか知ろうともしていませんでした。

この家族と本人と医療者側のかい離を紐解くために必要なのが「ものがたり」ではないかと考えました。

そう思ってからは看護師さんと協力して家族が来るたびにわざと部屋に行き、患者さん本人の過去や家族との関わり合いのものがたりを聞くように努力しました。

その人を知る努力をしようと全員で心がけました。

なかなか心を開いてはくれませんでしたが、半年も過ぎた頃から、家族が写っているアルバムを持ってきてくれるようになり、昔の楽しい話を病室でするようになってきました。

仕事のことや身だしなみにとても気を使っていたこと、家族を集めて食事会をすることが何よりの楽しみであったことなど、たくさんのものがたりをお聞きすることができました。それに伴って家族の対応がソフトになり色々と私たちにまかせてくれるようになりました。

 

これこそ「ものがたり」が持つ力です。

その人の、人生のものがたりを共有することで「その人らしい」や「その人にふさわしい」という感覚を家族と共有出来ているという感覚が大事なのだと思います。
その方が亡くなられた時にその家族に「どうして嫌われると分かっていながらあんなことをしたのですか?」とお聞きしたところ、「あの人を守れるのは私しかいないと思っていました」と答えられました。
ものがたりを共有するということの大切さを学びました。

そんなことを大事にする医療チームが高齢者の終末期には絶対に必要だと思い「ものがたりの街」を作ろうと多くの仲間を集め始め今に至っています。

 

ものがたりの街全景
 

ものがたりの街全景。

砺波地方に合わせた建物(切妻型 瓦屋根)としている